江戸時代には、「手遅れ医者」なんてのもいた。
患者の顔を見るなり
「ああ、これはもう手遅れだ!」と宣告してしまうんです。
もし患者になにかあったときは
「先生が手遅れと言ったんだからしょうがないよ、あきらめよう」
となるし、もし治ったらば
「あの先生は手遅れの患者を治した!名医だ」
と評判になるというわけでして
現代の外科においては、手術の成功率というのが名医の条件に関わってきます。
重症患者の難しい手術ばかりしている先生は
簡単な手術をしている先生よりも成功率自体は低くなります。
しかし難しい手術を行なっている先生の中での成功率が低くなければ
「やぶ医者」と言われることはありません。
ところが江戸時代は、細菌による感染症など治せない病気がたくさんあった。
ただ病気の重さを判断する基準もなかったので、
ひどい患者ばかり診ていれば、当然治らない人も多い
「あそこに行っても治らないよ、ありゃあやぶ医者だ」
てな具合になる。そりゃ困る。おまんま食い上げだ。
そこで先手を打って「手遅れ」、つまり重症であると宣告してしまえば
悪い結果でも免責され、良い結果なら評判になるという寸法。
これは医学の実効性が少ない中で考えた知恵といえます。
でも… 言われたほうはたまったもんじゃないですよ。
「ああもう私の人生おしまいだ」って
手遅れと言われたショックで多くの人は病状が悪化したんじゃないでしょうか。
現代においても、重症患者を引き受けたがらない医療、
医療従事者の言葉が患者に「絶望」を与えてしまうような医療が散見されます。
現代医学でも治せない病がある、という現実が、そうした問題を
引き起こす主な原因になっています。
医師、患者、社会が「病」という現実をどのように受け入れていくことが正しいのか
これからも考えていかなきゃいけません。
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