2011年12月1日木曜日

ピンピンコロリと日本人

今日は健康のお話。

みなさんPPKってご存知ですか?ワルサーPPK(007の拳銃)じゃありませんよ。

ピンピンコロリの略だそうでして。

「毎日ピンピンしていて、ある日突然コロリといく。」
日本人が望む死に方のナンバー1ということで
只今多くの方々に支持されている考え方です。

ピンコロ地蔵なるものもあるそうで、全国から参拝客が引きもきらない状態だとか。

なるほど、ピンピンコロリといけば
「病気で苦しみたくない」
「介護で家族に迷惑をかけたくない」
という日本人が恐れる、この2つの事態を避けられます。

しかしピンピンコロリは本当に「幸せ」なのでしょうか。

ヨーロッパではガンで死に至ることを厭わない人が多いと聞いたことがあります。
それは「家族との別れの時間を大切に過ごしたい」からなのだといいます。
そのような死の受け入れ方ができる文化の中では、
ピンピンコロリは忌み嫌うべきものなのかもしれません。

そもそも「ピンピンコロリ」という願望は、果たせる保証はありません。
今は病気もなく、元気で有難い。でもどうなるかはわからなくて不安。
「ピンピンコロリになるといいな」と、ピンコロ地蔵に参拝して、安心する。

果たしてそんな人が死に至る病を受け入れることができるでしょうか。
日本人は3人に1人はガンでなくなります。ガンの多くはコロリとはいきません。
お医者さんもPPK運動を推進するのも結構ですが、
PPKじゃないときに、どのように病気を、死を受け入れるのか、
少なくとも医者は冷静な心で、それを考えないといけないのではないのでしょうか。

最近日本でも「ピンピンコロリはお別れができない」という意見があるせいか、
「ピンピンしてて倒れて、一週間でみんなにお別れして、ニコッとコロリ」がいいね、
なんてことを立派な先生は仰っているようです。


…そんなにうまくいくわけねえじゃねえか!
おっと失礼。
でもこれは願望をただ述べてるだけです。

「日本人は死を受け入れられないから、ガンを告知しない」
としていた90年代以前から何も変わっていないのかもしれません。

実際に「安心」を求めている日本人が多い。
どのみち日本人は死にまつわるシビアな現実を受け入れられない。
だからその時が来るまでの間だけでも、せめてストレスを与えないために、
「とにかく安心させること」は現実に即した、正しい医者の振る舞いである。
というのがお医者さんの本音かもしれません。

けれども本当にこのままでいいのでしょうか。

死を共に受け入れてくれる家族もいない、「死」が個人の恐怖でしかない社会、
最期がそんな孤独で苦しいものになってしまうような社会。
そんな中で、望んだところでどうにもならないピンピンコロリを夢見るという、
現実逃避で安心することは正しいことなのでしょうか

今の「安心」のために、そういうことにきちんと向き合うのを避けていては、
100年経っても何も変わっていないかもしれません。

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