2011年10月20日木曜日

志ん朝師匠の稽古

落語家は稽古をつけてもらっていない噺は演じてはいけない。
という暗黙のルールが、一応あります。

一応、というのは流派や師匠によってこの辺の
考え方は随分違ってるんです。

例えば先代の小さん師匠は(永谷園のCMご存知ですかね)
落語の稽古は滅多につけてくださらなかったそうで。
稽古をつけてくれると言ったら、剣道の稽古だった、なんて話があります。
芸は盗むものだから、自分でできるようになったと思えば
やってもよい、というスタンスだったそうです。
そのかわり他の師匠がやっている噺をやるなら、
了承を得てからやんないとダメだよ、
と仰ってたようで、そこは流石に筋が通ってる。

古今亭は(少なくとも志ん朝師匠は)3べん稽古というやつで、
まず、師匠が噺を3回続けてやってみせてくれます。
それを必死で覚えて、自分で練習をして、それから師匠に見て貰います。

とにかく志ん朝師匠が普段は絶対にやらない、
前座がやるような落語、いわゆる前座噺をやってみせてくれる。
もうそれだけで感涙ものでした。

ところが、いざ自分の落語を見てもらいますと…。
ほんの十数分の落語なのですが、とにかく直される直される。
どこが駄目なのか徹底的に、また論理的に指摘してくださる。

しかし一切の甘えを許さない指摘は、グサグサっと来る。
変な汗は出るわ、もうだんだんと息が継げなくなって、
稽古が終わる頃にはもうフラフラ。

今思えば弟子としてこれほどの果報はないんですよ。
そこまでやってくれる、またやれる師匠はそうはいません。

ただ、きちんとできなきゃあいけない、完璧にできないなら
弟子の資格はない。最初からできるわけはないんですが、
そう思って、私はどんどん自分を追い詰めちゃいましたね。

しかし「芸」というものを考えたときに、
受け継がせる「重さ」、受け継ぐ「重さ」があるうちは
やはりDVDじゃあ学べないものが、そこにはあると思います。

笑いが取れればいい、それで客がつくならプロの落語家だ、
という考え方もありますが、そこだけになったら、
「落語家」じゃあなくて、ただの「笑わせ屋」なんじゃあないのか、
DVDで稽古しながら、そんなことを思ったりします。

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