本日は、「暮らしの学校」にて健康と落語の講座でした。
演目は「宗珉の滝」。季節がおかしいとか言われても聞こえないふりをしますよ。
「死んだ虎」を小柄(小さい刀)に彫ったため師匠の宗珉に勘当された、
腰元彫り(刀の鍔や目抜きにする彫り物)の彫り師宗三郎。
旅をしながら同職を渡り歩いても、褒められるだけで腕は上がらない。
宿屋の主人で素人だが目利きの松兵衛に師匠になってもらい
修行しているところへ、紀州のお殿様から直々の注文が…
いわゆる「名人噺」というやつでして。
名人噺は笑いどころはそんなにないんですが、SF的な不思議な話が多いんですね。
そして人情噺の部分もあり、興趣深い話だったりします。
今、私は落語をやる上でどの団体にも属していません。
稽古も基本的に自分でやっています。
ただ自分の芸のいやなところってどうしても見て見ぬ振りをしてしまいます。
そこで!
妻に師匠になってもらってます。
妻はそれほど落語に造詣が深いわけではありませんが、
一緒に落語を見ていても、評価が驚くほど的確でして。
実は、私の噺を聞いてもらった後に、妻が志ん朝師匠と同じ指摘をしたんですよ。
多分他の人ならほとんど気にならないような、ちょっとした癖なんですけど。
この「宗珉の滝」と同じですな。
「江戸の横谷宗珉の弟子の宗三郎と言えば、どこでも下にもおかない
もてなしをしてくれて、仕事をあてがってくれる。そんときにその小柄みせるだろ、
そうすると大抵の人は、ああ見事ですね、うまいですねと褒めてはくれるけれども
死んでいると言った人は、一人もいなかった」
そう言って宗三郎は、自分の彫った虎を師匠以外で初めて
「死んでいる」と評価した松兵衛の審美眼を見込んで、
自分の作品のどこが気に入らないか、いやなのか言って貰いたい。
一生懸命そこを直して松兵衛が気に入るような仕事ができるようになれば、
「生きた」虎が彫れるようになる。だから師匠になってくれと頼み込みます。
今の私とよく似た状況です。まあこんな風に思いつめてないですけどね、全然。
とにかく自分の落語は最後に妻に見てもらって直しているという。
ところが…私は妻の的確な指摘に対して、
「おかしい?本当に?ふーん」
とか文句を言ったりする、とんでもない弟子だったりします。
えー、これからは心を改めますのでどうか破門だけはご勘弁を…
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