2011年11月15日火曜日

腰痛手術は日本社会が選んだ?

今日は腰痛手術のお話。まじめな話ですよ。

前にヘルニアの手術がなぜ医学界で支持され続けたのかについて、
少し意見を述べましたが、(詳しくは→コチラ)
今回はちょっと視点を変えて、社会的側面から考えてみたいと思います。

腰痛において、手術という治療手段はヨーロッパでは以前から
ほとんど行なわれていませんでした。腰が痛い人がいないわけではなく、
医学界が、腰痛で手術というリスクをとるのは間違っている、という分析をしていたからです。
また社会も「腰が痛くてなんで手術するの?」という風潮だったそうです。

日本はヨーロッパの何十倍もの確率で腰痛手術をしていた。
これはリスクとリターンのバランスを考えずに手術を支持し続けていたことが一つの要因です。


そしてもう一つは社会の問題があると思います。

今から10年前には患者さんの中に、
「手術をしなければクビだ!」
と会社に強要されていた人が少なくありませんでした。


どう考えても「手術をしなければクビだ!」はおかしいですよね。


「腰痛が治らなければクビだ!」があったとしても。


これはどうも会社は必ずしも手術をして腰痛を治すことを重視していたとは限らないようで。

痛くて作業が満足にこなせない社員に対して、普通に働ける人達は
「なんでお荷物になってるのに給料を払うんだ、不平等だ」
と口に出さなくても、心のどこかで不満を持つ部分があります。
それが会社の雰囲気を悪くしたり、モチベーションを下げたりする。

ところが同じ『痛くて仕事に支障をきたす』状態でも、
「あいつは手術までして治そうとした」となれば、
「まあそれならしょうがない」と他の人も納得する。

だから手術しろ!」と理由を会社に直接言われた人はあまりいないでしょうが
(いるにはいます!)、
会社を円滑に機能させない社員は×。そういう空気というものがあったりする。

社会の中での振舞いとして手術を求められている、手術をすれば許される、
そういう空気を感じてしまうと、自分では意図していなくても、
「手術を受けるしかない」という考えに追い込まれていきます。

「自分は手術をしてまで治そうとした」という社会に対する免罪符を手に入れるために…。

これは会社だけでなく、家庭内でもあてはまるケースがあったと思われます。
(いつまで治らないの?というプレッシャーとか、完璧を求められる奥さんが腰痛になって…とか)

私は何百人もの手術を受けた人にお会いする中で、
どうも腰痛手術が支持された社会構造として、こうした背景もあったように感じます。

もちろん手術神話、手術信仰のようなものを社会全体が信じていた、という部分もあります。


この何年かで日本の腰痛治療が少し変わってきたのは、事実が周知されてきたことと、
社会構造が変わってきたことがあるのではないかと思います。

最近では、大手会社の社員さんで、
「整体でよくなるなら整体で」と会社が言ってくれる
なんて仰る方もいます。

「腰痛でなんで手術するの?」という空気になれば、社会的な呪縛はとけていくはずです。

で、そういう努力を一部のお医者さんは精力的にやっている。
「きょうの健康」もそうでしたし、今週の「ためしてガッテン!」でもやるようです。

しかしこういうのはTVでやるのは大変なんです。
未だにホームページなどでヘルニアの手術を勧めている病院もありますから。
その病院がCMとか流していたら大変なことになるわけでして。
NHKはやれても、民放みたいに利権が絡んでると難しい。
まあ困ったもんです。

この話の続き→続・腰痛手術は日本社会が選んだ?

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