2012年4月26日木曜日

落語は何色に…

前回からの続きものでございます。

かつて「花王名人劇場」という演芸専門のTV番組がありました。




こちらは十数年前、兄弟子に頂いた
「花王名人劇場」のバッグ。






小学生の頃よく家族で見ておりました。
ある時、そこでさる噺家さんが、
「犯罪や事件を起こした人を社会復帰させよう」
という内容の新作落語をやっておりました。
ワイドショーで話題になった人の実名を挙げては、
「航空機を墜落させた機長が歌手デビュー!」、なんて具合でして。

私は刺激的なネタにケタケタと笑っておりました。
しかしひょいと脇を見ますと、母親がいつに無く険しい表情。
で、はっとなった。そしてだんだんと気分が悪くなっていきました。

時事ネタ、ワイドショーネタが悪いわけではありませんし、
どんなことでも笑い飛ばしてみせる、という姿勢も大切です。

けれども悲惨な事件や人間の尊厳に関わるような事を、
それを取り上げる前提や文脈をおろそかにして「笑い」にしたならば、
一方的に「誰か」を踏みつけにして傷つけることにもなりかねない。

「笑い」ではなくて「嗤い」に無自覚に反応している自分の危うさに、
私は母親の様子を通して気付くことが出来ました。

かつてオウムの事件があった頃に、寄席で若手が連発する
ショッキングなオウムネタにお客さんが辟易した、という話があります。


「落語は大人の笑い」なんてことをよく申します。

しかし、この言葉は「大人」
「もののわかった人」と定義するか、
「おっさん」と定義するか
またこの言葉が、観客に向けられたものとするのか、それとも
落語家自身に向けられたものとするかで、
まるで意味が違ってきます。

とにかく大勢にワッと受けるんなら、露骨でもなんでもいい、
現代の「落語」はもうそういう芸能なんだ、
と思い定めている人は、それもよいかと思います。

まあそれならそれで、
「伝統芸能は素晴らしい」とか「笑いは人生に大事なものです」
なんてあんまり立派なことは、言わない方がいいと思いますけど。

「芸だけを追及しても食べていけない」ということもありますが、
刺激の強いネタというのは、お客さんよりも演者自身にとって
麻薬のようなもので、受けるためにそれを求めれば求めるほど、
「話芸」の本質から離れて行ってしまうと思うんです。


落語という大人の笑いがこれからどういう色に染まっていくのか。
「芸」と「商売」の間でジレンマを感じている落語家と、
ご覧になるお客さんという双方の「大人」にかかっていると思います。

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