2011年11月28日月曜日

喫茶スロースさん1,5周年おめでとうございます

一昨日、お座敷がかかりまして、お賑やかしということで一席、落語をやらせて頂きました。

喫茶スロースさんの1,5周年記念パーティー。

JR蒲郡駅前にある喫茶スロースさんは、
1Fは特製自家焙煎コーヒーを頂ける喫茶店。
2Fは語学、読書会、珈琲などの様々な教室を開催している
その名も「ナマケモノ大学」 (詳細はスロースさんのページで→コチラ)
スロースとは、「ナマケモノ」のことだそうでして。

1周年でも2周年でもなく、1,5周年。
なんともゆったりとした「スロース感」、いいですな。

宴席やお祭りは、落語家にとっては鬼門と言われております。
酒飲んで酔っ払っていたり、大騒ぎしている席では、
「毎度ばかばかしいお笑い、一席お付き合い願います」
なんて言っても、そりゃあ付き合ってもらえるもんじゃあありません。

もう50年前の話ですが、かの古今亭志ん生師匠(志ん朝師匠のお父上)、大師匠は
プリンスホテルで行われた読売巨人軍の優勝祝賀会の余興を、
騒がしくならないように、飲み食いが始まる前なら、という条件で引き受けた。

ところが座布団は用意してない、
料理は運ばれていて飲み食いは始まる、
テーブルだから背中を向けて座っている、
カーッと血がのぼって、脳溢血で倒れてしまいました。

これは頼んだ人とプリンスホテルがいけません。

一昨日の私の落語は、本当に気持ちよくやらせていただきました。
私からは何も言わなかったのですが、
ガチャガチャしないように、落語の間は料理を運ばないことに
してくださったり、先に座布団をセッティングしていただいたり、
プリンスホテルとは気遣いが大違い。

パーティーに参加されていたみなさんも別に落語を聞きに来たわけでもないのに、
また落語を聞くのは初めて、という若い方も多かったのですが、ご静聴いただきました。
こちらも巨人軍の皆様とはずいぶんと違うようで。

集まられた方達は、同志といいますか仲間といいましょうか、
とてもいいコミュニティがそこにあるように感じました。

そういう人たちの前で落語をさせて頂けたのはうれしいことでした。







終わった後の記念撮影にて






帰り際に若いお嬢さんが
「とっても面白かったです!顔が!」って、たははっ。
でもすごく落語に興味を持ってもらえたようで、何よりそれが有難かったですね。

2011年11月25日金曜日

続・腰痛手術は日本社会が選んだ?

以前の記事、腰痛手術は日本社会が選んだ?で、
社会の中で腰痛手術が求められた、と述べました。

前回の話で触れなかった重要なポイントの補足です。

腰痛の手術が、腰痛患者の社会に対する免罪符として求められた
理由として、もう一つの重要な事、それは、

「腰痛は目に見えない」

ということです。

「痛み」は自覚症状です。何かが刺さってるとか、骨が折れている場合は、
他人から見ても異常がわかりますが、ほとんどの腰痛は見た目ではわからない。

つまり、「痛い」ことをいくら主張しても、第三者に対する証明はできません。

そういうとき周りの人間はどう見るのか。

「怠けているのではないか」
「嘘をついて楽しようとしているのではないか」

といった疑いを持つ人もいる。

腰痛は環境やストレスによっても増減しますので、
症状に波があったり、みんなで遊びに行ったときには痛くなかったりする。
その様子を見た周囲はさらに疑念を深めて、

「遊びの時はなぜか元気だ、おかしい」

となれば、周りからの風当たりが明らかに変わってくる。

そうなると、「嘘なんかついていない」、と原因を究明しようとする。
検査をして「ヘルニア」があれば一安心。
「ヘルニアだと診断された、私の腰痛はヘルニアだ」と大っぴらに言える


「ヘルニア」という病名、そしてその手術が、
「自分が本当に腰痛であることの証明書」という役割を担っていたわけです。


ところが「異常ナシ」と診断される人もいる。
何も異常がなくて病名がつかないなんて社会的に困る。
だいたい痛みがあるのに「異常ナシ」は納得できない、そう考えるのはまあ当然です。

「そんなわけはない、何かあるはず、異常を見つけられないこの先生はヤブ医者かも」

お医者さんも見くびられては困るので、とにかく異常を見つけようとする。
じゃあCTもやろう、あの検査も、この検査も、と色々調べることになる。

その結果として、脊椎(背骨)の異常が発見されるケースが増えてきたのではないのでしょうか。
ヘルニア以外にも、脊椎の異常とされる病気はたくさんあります。
「脊柱管狭窄症」「脊椎分離症」「脊椎すべり症」…etcetc。

その中で、「はっきりと痛みとの関連性が実証された」とする病気を
今のところ私は知りません。(関連しているケースが無い訳ではありません)
ただ腰の痛い人を検査すると見つかることがある、というだけです。
ヘルニアのように痛みのない人を調べても見つかるかもしれません。

今回のヘルニアの件からもわかるように、
画像診断でいくら神経を圧迫しているように見えても、
痛みと全く関係していないことがあるのですから、
全ての画像診断は痛みとの関連性においては再評価する必要があるはずです。

そういう研究は、腰痛に関しては多くの検査が
不要になるという結果をもたらすかもしれません。
そうなれば医療費だって軽減できる。

検査機器を導入している病院は損害を被るかもしれませんが、
「検査」は病院の商業的な利益の為にあるのではないはずです。

それに、患者が求めているから、医師として異常を見つけなくてはならないから、
「病名がつくような異常を探す」
というのはあまりにも本末転倒しています。

こういう構造をおかしいと思う先生には、是非
「全ての脊椎の異常」と「痛み」の関連性について調査を始めてもらいたいのです。
そして、なるべく早く事実を周知してくれることを望みます。

十数年後に、また「ためしてガッテン」で

「脊椎の異常に関する大誤解」、とか本当に勘弁して頂きたい。

2011年11月22日火曜日

「ためしてガッテン」への医療、代替医療の反応を考える

先週のためしてガッテン「驚異の回復!腰の痛み」をご覧になった方は多いようで、
患者さんも随分と話題にしていらっしゃいました。

さすが平均視聴率17%以上の番組です。
0.1%以下の日もある「きょうの健康」とは影響力が違います。

「先生が前から言ってきた事が、ついにテレビでやりましたね」

と言われても、これまでの被害を思うと、なんとも重たい気分です。

前回の記事で、間違えた理由を検証もしないで…、という話をしましたが、
番組に出られた先生方を批判するつもりはありません。
どういう意図であったにしろ、少なくとも「ヘルニア」に関しては、これ以上
手術をして後悔する人が出るのを防いでくれたのですから。

なんにせよ、国立大学以外の先生が、

今までの医学の常識を、視聴率の高いテレビ番組で大々的にほぼ完全否定した。
(これは国立大学の先生には、そもそもできないことかもしれませんが)

もうそれ以上の追及ということはできないんでしょう。


先日の放送に対する医療業界の反応を、ネットで調べて見ると、
スルーしている所が大半です。まあ反論の余地はほとんどありませんからね。
逆に手術に反対していた医師、あるいは代替医療の先生には意気軒昂の方もいる。

「そら見たことか、今さら何を言っている」

と批判した上で、

「我々が前から言っていた様に、筋肉と心を治療すれば治るんだ」(○○整形外科)
「脳の一部が問題なら、頭蓋骨調整で脳の血流をよくする私のやり方で絶対治る」(○○整体)

と都合のいい箇所をピックアップして我田引水。うーむ。
「自分は正しかった」と言いたい気持ちはわかるのですが、


もう「○○で治る!」と断言するのはやめにしませんか。

「絶対に治る」と期待して「治らない」ことで追い詰められる人がいるんです。


私には「○○で絶対治る」の○○に入るのが、「手術」から
別の「△△療法」に変わっているだけにしか思えないんです。

「確率的に他より治している」
「手術より危険はない」
というのは詭弁だと思いますよ。

ためしてガッテンに出演していた方も、
「近くにある湖に、何度飛び込もうと思ったことか…」
と仰ってました。

私は仕事の中でそういう方に幾度と無くお会いしてきて、
「治る確率を上げること」以上に、「治らない事で追い詰められる人を生まない」
ということが一番大事だと思うようになりました。

「絶対治る!」という宣言は、一つ間違えると苦しんでいる人を
さらに奈落へ突き落すこともあるのです。

そして、この番組で紹介された、
「ストレス改善によって、腰痛は自分で治せることもある
という事をもっと積極的にとりあげるべきではないのでしょうか。

自分で治せれば治療に行く必要はありません。
それが患者さんにとってはベストです。

「やっぱり私は正しかった」「私のやり方で治せる」と主張をしておいて、
自分の仕事(商売)に都合の悪い事実はきちんと取り上げようとしない。

そんなことでは、今まで「ヘルニア」の真実を積極的に知らせようとしなかった人達と
やってることはある意味一緒だと思うのです。
いや、もっと「たちが悪い」と了見を疑われたって仕方がない。

「誰の為にやっているのか」、という視点がまず「患者さん」に向いていなければ、
通常医療でも代替医療でも信用されなくなるのは当たり前です。
自分の治療の正当性を主張する前に、やるべきことがあるのではないでしょうか。


「腰痛は自分で治すこともできる」
そういう、「起こり得ること」をまず知ってもらう。その上で、

「こういうサポートの仕方がある。しかしそのやり方が全てではない」

と、事実をきちんと伝えること。
これが、通常医療であろうが、代替医療であろうが、
人(患者)と向き合う上で、必要な前提だと思います。

2011年11月17日木曜日

ためしてガッテン「驚異の回復!腰の痛み」に見る医療の姿勢


今朝から日本中の整形外科は、手術キャンセルの対応で、てんてこ舞いかもしれません。

昨日放送された、NHKのためしてガッテンは、腰痛を抱える人にとっては
ちょっとビックリする内容だったのではないでしょうか。
(ご覧になっていない方は番組HPに詳しく紹介されています→コチラ
再放送は【22日深夜】午前0時15分~1時00分)
お知り合いでヘルニアの方がいたら是非教えてあげてください。

何と言っても、

「ヘルニアは腰痛の犯人ではない」

「ヘルニアはほうっておいても消失することがある」

という事実を視聴率の高いテレビ番組が言ってのけたのです。


番組を見て最初の感想としては、よくあそこまで言えたなあと。

「腰痛がない人にもヘルニアがある」という事実は私が整体の修行を始めた
15年以上前でも、新聞の健康関連記事で取り上げられることはありました。

しかしそうした主張をする医師は、日本の医学界では少数派、異端だったのです。
また医学界で「今まで間違えてました」と言うのは極めて難しいことなんです。
そこには先人や組織が正しいとしてきたことを否定できないシステムがあります。
(徒弟制度の弊害、ブログ記事は→コチラ)日本の大学はさらに複雑かもしれません。

この番組で「きょうの健康」にも出ておられた
愛知医科大学学術的痛みセンター教授の牛田享宏先生は、
「ヘルニアが自然消滅する」という事実を「最近わかってきた」とおっしゃっていました。
このこともやはり10年以上前から新聞などで取り上げられることはありました。
2002年頃のNHK「きょうの健康」でも、出演していたどこかの大学の先生が
このことをボソッと言ったのを記憶しています。

徒弟制度的構造が少し変わってきたこと、
さすがにおかしいと思う先生が増えてきたこと、
多くの国内のデータが揃って来たこと、
おかしいと思う先生がある程度の地位についたこと、
さまざざまな総合的状況が変化して、

やっと最近、日本で大々的に言えるようになった、ということなのでしょうね。

でも山瀬まみちゃんが言っていました、
「今までに手術しちゃった人がかわいそう」

ホントですよ。

なぜ今までの説が支持されたのか。
どういう社会背景があったのか(前回記事→腰痛手術は日本社会が選んだ?)
なぜ医学界やマスコミは事実を早く知らせなかったのか。
そういう検証はしないでおいて、ヘルニアに対する「国民的大誤解」とか仰る。


「国民的大誤解」って?


誰が誤解させたの?


「○○に対する国民的誤解」で済ませておいて、しれっと、「最近はこんな学説があります」


15年以上前から警鐘を鳴らしている人達がいたのにも関わらず。


間違えた事に対する検証がなされなければ、
この「○○」にはひょっとしたら、これから先いろんな違う言葉が入るかもしれません。
しかし後になって、悩み苦しむのは一人一人の「患者」です。

こういう構造の中で、ひどい目にあわないためには、
まず個人がフラットな視点で、自分自身で情報収集しないといけない、ということです。
今回番組で取り上げた事実の多くは、何年も前からネット検索でも知ることができました。


一つ早めに言っておきたいことがあります。
今回「ヘルニア」は腰痛原因として大々的に否定されました。
実は私の整体院でも、病院でヘルニアと診断されてお見えになる方は
この2、3年で随分と減ってきています。
それと反比例して増えているのが、あの『みのもんた』も手術した「脊柱管狭窄症」です。

ところが「脊柱管狭窄症」という病名がついているにも関わらず、狭窄症の特徴的な症状のない、
10年前なら絶対にこの病名がつかなかったような状態の人が最近あまりにも多すぎる。

かつての「ヘルニア」のように画像診断だけで病名を決定するようになったのではないのか?
そう疑わざるを得ないような「脊柱管狭窄症」が増えている。

この件はまた詳しく書きますが、

「それ見たことか!」なんて事実はもうゴメンなんです。
手術をして後悔している人を何百人も見ている身としては…。


今回紹介された、ストレスの改善が腰痛を楽にしてくれるということ。
犬を飼ったりするような、好きなことを見つけること。
そんなことで治る人もいる!という事実をまず知ることが、
ヘルニアの呪いから解き放たれる第一歩です。
とりあえずリスクはない治し方ですし。

そして、それでよくならないときに、医療がバックアップする。
それもはっきりしていない以上は、なるべくリスクの少ない治療を選択する。
私は現状では腰痛治療に対する姿勢としては、それが一番正しいと思います。

2011年11月15日火曜日

腰痛手術は日本社会が選んだ?

今日は腰痛手術のお話。まじめな話ですよ。

前にヘルニアの手術がなぜ医学界で支持され続けたのかについて、
少し意見を述べましたが、(詳しくは→コチラ)
今回はちょっと視点を変えて、社会的側面から考えてみたいと思います。

腰痛において、手術という治療手段はヨーロッパでは以前から
ほとんど行なわれていませんでした。腰が痛い人がいないわけではなく、
医学界が、腰痛で手術というリスクをとるのは間違っている、という分析をしていたからです。
また社会も「腰が痛くてなんで手術するの?」という風潮だったそうです。

日本はヨーロッパの何十倍もの確率で腰痛手術をしていた。
これはリスクとリターンのバランスを考えずに手術を支持し続けていたことが一つの要因です。


そしてもう一つは社会の問題があると思います。

今から10年前には患者さんの中に、
「手術をしなければクビだ!」
と会社に強要されていた人が少なくありませんでした。


どう考えても「手術をしなければクビだ!」はおかしいですよね。


「腰痛が治らなければクビだ!」があったとしても。


これはどうも会社は必ずしも手術をして腰痛を治すことを重視していたとは限らないようで。

痛くて作業が満足にこなせない社員に対して、普通に働ける人達は
「なんでお荷物になってるのに給料を払うんだ、不平等だ」
と口に出さなくても、心のどこかで不満を持つ部分があります。
それが会社の雰囲気を悪くしたり、モチベーションを下げたりする。

ところが同じ『痛くて仕事に支障をきたす』状態でも、
「あいつは手術までして治そうとした」となれば、
「まあそれならしょうがない」と他の人も納得する。

だから手術しろ!」と理由を会社に直接言われた人はあまりいないでしょうが
(いるにはいます!)、
会社を円滑に機能させない社員は×。そういう空気というものがあったりする。

社会の中での振舞いとして手術を求められている、手術をすれば許される、
そういう空気を感じてしまうと、自分では意図していなくても、
「手術を受けるしかない」という考えに追い込まれていきます。

「自分は手術をしてまで治そうとした」という社会に対する免罪符を手に入れるために…。

これは会社だけでなく、家庭内でもあてはまるケースがあったと思われます。
(いつまで治らないの?というプレッシャーとか、完璧を求められる奥さんが腰痛になって…とか)

私は何百人もの手術を受けた人にお会いする中で、
どうも腰痛手術が支持された社会構造として、こうした背景もあったように感じます。

もちろん手術神話、手術信仰のようなものを社会全体が信じていた、という部分もあります。


この何年かで日本の腰痛治療が少し変わってきたのは、事実が周知されてきたことと、
社会構造が変わってきたことがあるのではないかと思います。

最近では、大手会社の社員さんで、
「整体でよくなるなら整体で」と会社が言ってくれる
なんて仰る方もいます。

「腰痛でなんで手術するの?」という空気になれば、社会的な呪縛はとけていくはずです。

で、そういう努力を一部のお医者さんは精力的にやっている。
「きょうの健康」もそうでしたし、今週の「ためしてガッテン!」でもやるようです。

しかしこういうのはTVでやるのは大変なんです。
未だにホームページなどでヘルニアの手術を勧めている病院もありますから。
その病院がCMとか流していたら大変なことになるわけでして。
NHKはやれても、民放みたいに利権が絡んでると難しい。
まあ困ったもんです。

この話の続き→続・腰痛手術は日本社会が選んだ?

2011年11月12日土曜日

松本人志と落語

先週NHKで「松本人志、大文化祭」という番組がやっていました。

ダウンタウンの松ちゃんこと松本人志のこれまでの軌跡を追う番組で、
その中で落語の話が出てきました。

親兄弟が落語が好きで、小学校1,2年の頃から
一緒に寄席に通っているうちに好きになったんだそうで。
お兄さんは素人寄席に出ていたというのですから、筋金入りの家庭環境ですな。
最近になって改めて落語を聞き始め、今は桂枝雀師匠の落語を毎日聞いているという。

私はファンというわけではないのですが、
以前島田紳助とやっていたトーク番組をたまたま見ていたら、
「子どもの頃、志ん朝師匠が好きだった」と言うの聞いて、
「へー、意外!」とこの人が気になるようになった。

確かに「人志松本のすべらない話」なんかは、まず物語があって必ず落ちがある。
落語のシステムを踏襲している。

子どもの頃に落語にハマって、その後
既成概念を覆すような笑いをやってきた芸人が、
伝統芸能の笑いを見直している。
実に興味深いですね。

落語は何べん聴いても飽きない。
漫才は3回が限度、コントは1回こっきりということもある。
その両方の笑いを考える人がこれからどういう笑いを作っていくのか。
気になります。

2011年11月8日火曜日

腰痛の原因は何?

前回に引き続き腰痛のお話。もうしばらくお付き合い願います。

先週のNHKきょうの健康 「組み合わせが大切 腰痛対策」でも紹介されてましたが、
現在の医療では腰痛をこのようにとらえています。
















「体」と「心」と「社会・環境」が相互に影響しあって、腰痛を引き起こしていると。
「社会・環境」は社会や環境が与える、身体的、心理的負担のことです。
だから厳密に言えば、腰痛は体と心の問題である、と捉えているわけです。
私はこの考え方には、大筋で異論はありません。

少し前は「腰痛は心の病気だ!」と断言しているお医者さんも少なくありませんでした。
ヘルニアなどの脊椎の異常、つまり「体」の異常が否定された事で、
「痛みを感じるのは脳(心)である、そこに異常があるのではないか」と考えたわけです。
だから、坑うつ薬、安定剤、カウンセリングなどで改善できるはずだと。

ところが海外のデータなどを見ると、これも思ったほどうまくはいっていないようです。
これから先、「心の薬」の投与が正しかったのか、という議論が出てくるかもしれません。
そもそも、腰痛が心の病気だとしても、「心の治療」自体がどれだけうまくいっているのか、
という問題もあるわけで。

どうやら「心理的要因」を改善しようとしても、思ったほど腰痛を解決できない。
結局、腰痛に対する「魔法の弾丸」は見つからなかった。
「魔法の弾丸」とは「特異的な効果を発揮する治療法」のことです。
学者はそれこそが真の治療だとして、追い求めます。
それは優れた再現性を持ち、あらゆる人に必ず効果を発揮するからです。
そういう治療を発見した人は、医学史に燦然とその名が刻まれます。

ところが色々研究してみたものの、
「効いたり効かなかったり、うーん、もうわかんねえや、 ̄\(-_-)/ ̄
となっているのが腰痛分析の現実です。だから、
「組み合わせが大切」=「よくわからないので色々とやってみましょう」、
というわけです。

しかし現実を直視して、わからないことはわからない、と表明したことは、
よくわからないのに、「こうだ!」なんて言っている学者先生なんかより、
よっぽどまともな対応だとは思います。
患者さんは、その事実を知る事で、わからないならやるべきではない
リスクのある治療を避ける事ができるのですから。

ただ「きょうの健康」を見ていても、学者は根拠が曖昧な場合でも、
発言する時は結構断言をします。
これは学者の振る舞い方として身についちゃってんでしょうな。

兎にも角にも、その人の視点が、どこからどこへ向いて、誰のために発言しているのか。
社会の中で専門家が発言する時にはそこを注意深く見極めなくちゃあいけません。

次回は、「ヘルニアは本当に原因じゃないのか?」と「整体の効果」についてお話します。

2011年11月7日月曜日

腰痛治療の変遷、NHK「きょうの健康」を見て

今日は腰痛の話、そして少しばかり長文です。おもろい話ではありません。

医学界における腰痛治療の考え方はここ数年で大きく変わっています。
以前は、腰痛は脊椎の異常によって起きる、というのが医学界の常識でした。
その中で代表的なものが「椎間板ヘルニア」です。ヘルニアの詳細は→コチラ

ところが、腰痛の研究を進める中で、全く症状のない健康な人の
腰を検査するとヘルニアが存在する事がわかってきました。
痛みのない多くの人にヘルニアがあるという事実が判明した事から、
ヘルニアは腰痛患者特有の異常とは言えなくなりました。

研修医向けの医学書である『整形外科研修なんでも質問箱145』(南江堂)においても、
画像診断で椎間板ヘルニアがあることを理由に手術を勧めること、
手術で痛みをとりましょうと言うことを
「医師が絶対にしてはいけないこと」 としており、
「結果として、痛みが取れることもある」 と書かれています。

先週のNHK「きょうの健康」を見て時代が変わったなあと感じました。
『組み合わせが大切』と題しまして、一週間で3人の先生が出演して、
それぞれ自分が適切と思う腰痛治療方針を述べていました。

- (どんなに強い痛みが長く続いていても)痛みだけで手術すべきでない
- 画像診断をあまり重視するな
- 心のケアが大切
- 運動で脳を鍛えて痛みを軽減

どの先生の主張も、単体では腰痛の原因を説明できるものではありませんでした。
どの治療が合うのかもやはりはっきりしませんという状態。
でも「組み合わせる」ことで改善する確率は上がると。
とにかく「腰痛の原因はこれだ!」なんて単純な原因追求をすることが
間違いだったと認めざるを得なくなった。
様々な事実が周知されてきたことで、医学界も方向転換を図っています。

しかし、今まで「腰痛はヘルニア(脊椎の異常)が原因だ!」
と喧伝してきたことに対してはなんの弁明もありません。

私は腰痛で手術を行なった後に、「手術をしなければよかった」と後悔されている方を
今までに300人以上は見てきています。
作家の渡辺惇一が自分が元整形外科医であることを週刊現代のコラムで述べたところ、
「腰の手術をしてひどくなったが、どうしたらよいのでしょうか」といった内容の手紙が
山のように届いたという話がその次の号のコラムに書かれていました。

その方達は「手術をすれば絶対に腰痛が治る」という認識で行っています。
結果は「痛みはとれない」、そのことを医師に話すと、とてもいやな顔をされる。
「ヘルニアはきれいにとったから、痛いはずがない。あなたはワガママだ!」
などとなぜか人格攻撃されて、深く傷ついた人は少なくありません。ホントに。

ただ、医者の方にしてみれば、ヘルニアが神経に当たっているように
画像では見えるんだから、物理的に考えて相関関係があるのは間違いない。
実際に良くなる人もいるし、なにより教科書に
「ヘルニアによる神経圧迫を除けば痛みはなくなる」と書いてある。

だから手術によって「痛みがとれない」ということはあってはならない、
そのことを想定すべきではない、としているので、
手術後に「痛い」という人は大変不都合な存在なのです。
また原因は排除されたのですから、それ以上何もできないわけで。
結果、「手術したのに痛いという患者はおかしい」と責任転嫁して攻撃してしまうことにもなる。

本当は手術をしても痛みが取れない人のケアこそが大事なのですが。

民放のTVで「スーパードクター!」みたいな番組で腰の手術をする医師はあまり出なくなりましたし、こうしてNHKでも「ヘルニアが原因だから手術を」とは言わなくなりました。
「どうも間違ってたみたいだから、勧めるのはやめよう」ってなわけです。

しかしなぜ考えが偏って、腰痛手術はデメリットの方が大きいとヨーロッパなど様々な論文で報告されているのが見過ごされたのか、なぜ患者の声にもっと早く耳を傾けなかったのか、といった検証はなされていません。おそらくこれからもないでしょう。誰も責任を問われない。

「偉い先人が正しいとしたことは、間違いだとわかっても否定しにくい、
自分も言われた事を信じてやってきた共犯者だし」
そういう理由もあって、一旦正しいとされた学説は間違いとわかっても否定されにくい構造があります。しかしその視点は患者側のものではない、ということだけは明らかです。

なぜ間違えたのか。
なぜその説が支持されたのか。
なぜ医学界やマスコミは事実を早く知らせなかったのか。
そういう検証を避けて、しれっと「最近はこういう学説があります!」
なんてやっても、「また同じ間違いをするのでは?」という疑いは晴れず、
やはり信頼はされないのではないのでしょうか。

2011年11月4日金曜日

奥様は師匠?

本日は、「暮らしの学校」にて健康と落語の講座でした。

演目は「宗珉の滝」。季節がおかしいとか言われても聞こえないふりをしますよ。

「死んだ虎」を小柄(小さい刀)に彫ったため師匠の宗珉に勘当された、
腰元彫り(刀の鍔や目抜きにする彫り物)の彫り師宗三郎。
旅をしながら同職を渡り歩いても、褒められるだけで腕は上がらない。
宿屋の主人で素人だが目利きの松兵衛に師匠になってもらい
修行しているところへ、紀州のお殿様から直々の注文が…

いわゆる「名人噺」というやつでして。
名人噺は笑いどころはそんなにないんですが、SF的な不思議な話が多いんですね。
そして人情噺の部分もあり、興趣深い話だったりします。

今、私は落語をやる上でどの団体にも属していません。
稽古も基本的に自分でやっています。
ただ自分の芸のいやなところってどうしても見て見ぬ振りをしてしまいます。

そこで!

妻に師匠になってもらってます。
妻はそれほど落語に造詣が深いわけではありませんが、
一緒に落語を見ていても、評価が驚くほど的確でして。

実は、私の噺を聞いてもらった後に、妻が志ん朝師匠と同じ指摘をしたんですよ。
多分他の人ならほとんど気にならないような、ちょっとした癖なんですけど。

この「宗珉の滝」と同じですな。

「江戸の横谷宗珉の弟子の宗三郎と言えば、どこでも下にもおかない
もてなしをしてくれて、仕事をあてがってくれる。そんときにその小柄みせるだろ、
そうすると大抵の人は、ああ見事ですね、うまいですねと褒めてはくれるけれども
死んでいると言った人は、一人もいなかった」

そう言って宗三郎は、自分の彫った虎を師匠以外で初めて
「死んでいる」と評価した松兵衛の審美眼を見込んで、
自分の作品のどこが気に入らないか、いやなのか言って貰いたい。
一生懸命そこを直して松兵衛が気に入るような仕事ができるようになれば、
「生きた」虎が彫れるようになる。だから師匠になってくれと頼み込みます。

今の私とよく似た状況です。まあこんな風に思いつめてないですけどね、全然。
とにかく自分の落語は最後に妻に見てもらって直しているという。

ところが…私は妻の的確な指摘に対して、
「おかしい?本当に?ふーん」
とか文句を言ったりする、とんでもない弟子だったりします。

えー、これからは心を改めますのでどうか破門だけはご勘弁を…

2011年11月1日火曜日

落語家への道は険しいのか?

「ザ・ノンフィクション・おんな落語家への道」
今年の1月に一度放送されたようで、先日再放送で初めて見ました。
youtubeにもアップされているようですね

落語は男の芸。かつてはそうでした。女性の寄席芸人さんは昔からいましたが
三味線漫談とか奇術(マジック)とかで、「落語家」にはなれなかった。
まあ歌舞伎の舞台に女の人が上がりたいと言うようなもんだったんです。

しかし、現在は女性落語家さんも随分と増えました。
その第一号が三遊亭歌るた(かるた)師匠。女性で初めて真打になった落語家さんです。

この番組は歌るた師匠に弟子入りをした、
IT企業の社員だった三遊亭歌る美(かるび!)さんと元役者の三遊亭多ぼうさん、
2人の女性落語家の前座生活を追うドキュメンタリーでした。

落語家は段階を経て身分が上がっていきます。

前座(4~5年)
この間は基本自由がありません。毎日師匠の家と寄席(演芸場)を行ったり来たり、
掃除、洗濯、師匠の身の回りの世話をしたり、寄席での仕事を覚えたりしながら、
落語家になる基礎をつくる期間です。前座期間が過ぎると二つ目となります。

二つ目(10年~)
ここからやっていいことが増える。自分の手ぬぐい作ったりとか。
自分で仕事をとって地方で落語会とか出ることができる(仕事が来ればですが)
当然師匠のところに毎日通わなくてもいい。
この二つ目の期間を過ぎますと、真打、正真正銘のプロというわけです。

真打になると、「○○師匠」と師匠付けで呼ばれるようになります。
現在は15年落語協会にいれば、まあ確実に真打になれます。あまり上手でなくても。
例外はありますが、基本的に年功序列の出世システムなんです。
そのことが今まで落語界に何度か騒動を引き起こしてきました。
まあ今日はこの話は置いといて…

落語界では、失敗したり機嫌を損ねたりする事を「しくじる」と言います。
落語家の弟子は盗みといった悪意のあるしくじりや、
師匠の言う事に反論したりしなければ、破門になることはあまりありません。
「気が利かない」でクビにした師匠もいたって聞きますけどね。
基本的には自分から「やめたい」と言わなければ続けられます。

いやあ、しくじってましたねえ。TV番組はそういうところクローズアップしたがるとはいえ…。
しくじるのは仕方がないんですが、ちょっと痛々しいしくじりが多い。
小言で泣いちゃったりとか。うーむ。

でも歌るた師匠はすごいと思いましたね。
何があってもちゃんと育てよう、という気持ちが画面から伝わって来ましたから。
自分も師匠に育ててもらった、という恩義が弟子に還元されていくのだなあと。

「誰かがしくじると居合わせた他の弟子までとばっちりの小言をもらう」
という、落語家あるあるを久々に見て、弟子時代を思い出しましたねえ。

まあ、男でも女でも、上手でも下手でも、やめたら「向いてなかった」という世界です。
60過ぎて芽が出る人もいますから(稀にね)
花が咲いて実がなるのか、最期までわかりません。